ドキュメント・大震災
3月とは思えない寒さです。
雪まで降ってくるし。
twitter facebookなんて新しいメディアが取り挙げられていますが、
一方的な個人発信が出来るblogを使って、その時の状況を残します。
11日顧客へある重要な話をしに私、相棒、上司と3名で移動。
私はその後、別方向の顧客へ向かうため、営業車2台での行動でした。
13時すぎ、美里町での仕事を終え、新青森を目指す上司を古川駅へ送る
ついでに3人で昼食にラーメン屋に立ち寄りました。
14時すぎ、食事を終え、簡単な打合せの後、相棒と上司は古川駅へ。
私は佐沼方向へと車を走らせました。
その後、あの痛ましい南三陸へ向かうことも考えていました。
ナビゲーション通りに車を走らせ、混雑もなく淡々と走行していました。
16時。
私は田んぼの中の1本の舗装路をひた走っていました。
これまで訪問したことが無い顧客でしたので、
データを確認しながらナビ通りの道を走っていました。
前々日、盛岡で震度5弱の地震があったのですが、
緊急地震速報は配信されず。ということがあったばかり。
すると、
突然、会社のauの携帯がうなりました。
いつもと全然ちがう呼び出し音と振動がし、
走行中、異変に気付きどうやって止めるんだ?と思った瞬間、
車が異常な縦挙動をし、ハンドルを切ることでは制御できなくなりました。
それでも後続の車に配慮し停止はしていませんでした。
不幸なことに煙草を左手に持っていたのですが、
消火する為に灰皿に煙草を持っていくことすらできません。
気が動転しながらも何とか消火、
ワンセグTVを付けると緊急事態だということが判りました。
周囲を見渡すと、道路がところどころ割れており、
それまで後ろから煽っていた車も
はるか後ろでハザードを付けて停止していたことが判りました。
左を見ると、小さなパチンコ屋から20名くらいのお客さんが一斉に飛び出て来、
右を見ると、セブンイレブンのスタッフさんがシャッターを閉じ、着の身着のまま車に乗り
家路へと帰りました。
あまりの恐怖に泣いていました。
携帯が使えず、ペリカン便?配送の方が公衆電話で会社に電話していました。
余震がひどく車から降りることも出来ず、
次の行動に付いて車内で考えました。
第一に考えたのは上、倒れてくるもの何か落ちてくるものには注意しようということでした。
右のセブンイレブンの駐車場がありましたので、車を移動させ、数分待機。
余震がひどい。電柱・電線が尋常じゃなく揺れています。
その時、相棒からの電話。
「山形へ戻る為に高速に乗ったが、降ろされた。
古川駅の上司を何とか迎えに行けないか?」とのこと。
仕事を続行したら良いか、中止するかと一瞬考えるが、
続行不能、古川駅を、我が家を目指す。
数分後、改めて上司からSOS。
「なんとか迎えに来れないか?」
咄嗟の判断だったが、集合場所を駅前のホテルと決め、
電話を切ることに。
それからは2時間、戦いだった。
>>>>つづく>>>>
雪まで降ってくるし。
twitter facebookなんて新しいメディアが取り挙げられていますが、
一方的な個人発信が出来るblogを使って、その時の状況を残します。
11日顧客へある重要な話をしに私、相棒、上司と3名で移動。
私はその後、別方向の顧客へ向かうため、営業車2台での行動でした。
13時すぎ、美里町での仕事を終え、新青森を目指す上司を古川駅へ送る
ついでに3人で昼食にラーメン屋に立ち寄りました。
14時すぎ、食事を終え、簡単な打合せの後、相棒と上司は古川駅へ。
私は佐沼方向へと車を走らせました。
その後、あの痛ましい南三陸へ向かうことも考えていました。
ナビゲーション通りに車を走らせ、混雑もなく淡々と走行していました。
16時。
私は田んぼの中の1本の舗装路をひた走っていました。
これまで訪問したことが無い顧客でしたので、
データを確認しながらナビ通りの道を走っていました。
前々日、盛岡で震度5弱の地震があったのですが、
緊急地震速報は配信されず。ということがあったばかり。
すると、
突然、会社のauの携帯がうなりました。
いつもと全然ちがう呼び出し音と振動がし、
走行中、異変に気付きどうやって止めるんだ?と思った瞬間、
車が異常な縦挙動をし、ハンドルを切ることでは制御できなくなりました。
それでも後続の車に配慮し停止はしていませんでした。
不幸なことに煙草を左手に持っていたのですが、
消火する為に灰皿に煙草を持っていくことすらできません。
気が動転しながらも何とか消火、
ワンセグTVを付けると緊急事態だということが判りました。
周囲を見渡すと、道路がところどころ割れており、
それまで後ろから煽っていた車も
はるか後ろでハザードを付けて停止していたことが判りました。
左を見ると、小さなパチンコ屋から20名くらいのお客さんが一斉に飛び出て来、
右を見ると、セブンイレブンのスタッフさんがシャッターを閉じ、着の身着のまま車に乗り
家路へと帰りました。
あまりの恐怖に泣いていました。
携帯が使えず、ペリカン便?配送の方が公衆電話で会社に電話していました。
余震がひどく車から降りることも出来ず、
次の行動に付いて車内で考えました。
第一に考えたのは上、倒れてくるもの何か落ちてくるものには注意しようということでした。
右のセブンイレブンの駐車場がありましたので、車を移動させ、数分待機。
余震がひどい。電柱・電線が尋常じゃなく揺れています。
その時、相棒からの電話。
「山形へ戻る為に高速に乗ったが、降ろされた。
古川駅の上司を何とか迎えに行けないか?」とのこと。
仕事を続行したら良いか、中止するかと一瞬考えるが、
続行不能、古川駅を、我が家を目指す。
数分後、改めて上司からSOS。
「なんとか迎えに来れないか?」
咄嗟の判断だったが、集合場所を駅前のホテルと決め、
電話を切ることに。
それからは2時間、戦いだった。
>>>>つづく>>>>
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