ドキュメント・大震災 その②

営業車を元来た方向へ走らせる。


東北の田舎町。震源にかなり近い町だ。

停電。非日常。
辺りはまだ明るいが、電気という文明が来ていない不安。

古い納屋、茅葺の屋根の家は倒壊。
沿道の建物から電線や電話線が引きちぎられ
道路に垂れている。
何本も、何本も。

電柱は傾き、コンクリートの塀は道路に倒れこむ。
車はノロノロと進み、家屋から出てきた人々が頭を抱える。

幸い、大きな怪我をしているようには見えない。

そう停電で信号が全く機能していない。

この一帯だけがこんな感じなら、

「何故警察が来ていない???」

自問自答しながら待ち合わせ場所へ
セットしたナビ通りにただ車を走らせる。

12、3㎞、25分と表示されているが、それ以上掛かりそうな混み具合。

救急車や消防のサイレンが時折鳴る。

農道は被害がそんなに大きくないように感じた。

電柱こそ大きく傾いてはいるが、その他は平和だから。

一部倒壊している建物も、内部に人気は無いからである。

古川の入り口までさしかかると、
橋の両端が上に持ちあげられ、車が通れない段差となっていた。

事故を避けるため、通行人の誰かが、その割れ目に棒を挿して注意を促していた。

それを見つけるたびに迂回するので、ナビの距離と到着時間は自然と過ぎて行った。

ある橋の手前のパチンコ屋。
橋はこの影響で持ち上げられ、普通車では到底通行は出来ない状況に。

見かねた若者が、どこから持ってきたのか紅白の旗を振り、別の道に迂回を促していた。
こんな状況でも人のためにとっさに動けるのは最近の若い奴も捨てたもんじゃない。

市街地に入ると事態はさらにひどくなった。
どこの街もそうだが、全ての道路が駅に続いているから。

古い商店は壊滅状態が酷く、
ジュースの自販機すら道路に倒れてきている。
書店やレンタル店などはただ店を閉めて逃げるだけ。
店の入り口が閉まらない状態のままの店もある。

コンビニもシャッターが閉まっている。
ガラスには新聞紙が貼られているところも。
昼夜を問わず空いているはずの店が閉まっているのは異様である。

ショーウインドーが粉々に割れている建物。
看板が倒れている建物。
こんな時、どうしたらいいか判らず途方に暮れる人々。

とにかく仕事に就いていた人々は家路を急いでいるのがわかる。
こんな田舎町でも、15km進むのに3時間も経過しているのだから。

そんな中、なぜか原付バイクで郵便を配達している職員が居る。
めちゃくちゃになった事務所に配達しても。

やっと上司と待ち合わせの駅近くに到達。
駅は崩壊しているらしい。
新幹線は事故は起こしていない。

待ち合わせ指定のホテルに到着する少し前、
みぞれが降り始めた。
ホテルの駐車場に車を滑らせる。

上司を探すより前に助手席の窓をたたく上司。
「いやー良かったー。」
僕らは無事合流した。

このサバイバルな状況下では奇跡かもしれない。

古川駅は天井が落ち?
非常に危険な状況に。
新幹線がストップしたという連絡を受けて駅を後にしたそうな。

某待ち合わせのホテルに避難したが、建物の状況が判らないので
入らないでくださいとの指示だったので途方に暮れていたが、
たまたま停車していた観光バス運転手さんが、
とりあえず乗って暖を取ってくださいと
バスを開放してくれたのだと。

そこからサバイバル第2ラウンド開始。

通常40分33kmの道のりを下道で5時間以上掛けて仙台まで戻ることに。

信号が機能していないのでひたすら道を譲りながらとろとろと走り、
反射的にトイレ、水分が欲しいとコンビニを覗く、⇒閉まっている。

途中開いているコンビニを見つけるも店内大混乱。
オーナーらしき人が電源の来ないポスレジの代わりに
暗算で会計をしている店も。

こんな時は昔の値札シールがあったらなんとかなったなんて。

続々とドアをこじ開けやってくる人を整列させることも出来ずに、
店内はめちゃくちゃ。
倒れた雑誌のタナも直す余裕もなく。
大きく動いているアイスの船容器。
店の商品全体がぶちまけられている状態の中に、
60人以上の人がうごめき、会計を待つ長い列を作っていた。

そんな様子だから
あまりの遅さに会計をせずに帰るのかとおもいきや、
じっと待つ人々。

判っているであろう、
水道も電気も来ていないのにトイレに入ろうとする人も。
もうすでにすごい異臭。


車のワンセグからは非常事態を告げる放送が流れる。
いつもの女子アナがヘルメットをかぶって放送している。

NHKからは上空の津波の実況。
自分の暮らす街が津波に呑まれるのをただ黙ってみているだけ…
人間は自然の前には無力である。

家族の待つ自分の家を目指し国道をひた走る。
普通なら1時間を道のりを5.5時間も掛けて、

日が暮れ、信号も街灯も無いただ真っ暗な道を進む。
本当に異様。

民家ではランタンか懐中電灯のほの暗い明かりだけ。
異様。ただ不安な夜。

避難者、死亡者・行方不明者のデータが出始め、ことの重大さが判り始める。
続く余震。つながらない電話。

会社にはとっさにe-mailだけしておいた。
携帯がつながらないので、ショートメールはムリだと思ったから。

実は、スマートフォンを家に忘れてきていたので、
カミさんのメールが判らず、電話を掛けるのが精いっぱいだった。

14時46分の地震から、
上司を何とか助けだし、
仙台市青葉区の我が家に戻ったのは23時を少し回ったころだった。


>>>>つづく>>>>

コメント

人気の投稿